福島ひとり旅その二
郡山の駅に和幸があった。
私は和幸が大好きだ。
せっかく郡山にきているので、他ではお目にかからないような料理に手を出してみたかったが、次の予定まで時間がなかったので安定の和幸にした。
そこでは非常に感心させられた出来事があった。
一人の女性アルバイト店員さんに纏わる話だ。
その方は容姿もしっかり整えており。
常に明るく振る舞っていた。
厨房に入る前には一旦、立ち止まり客席全体を見渡していた。
おそらく追加の注文だったり、お水やお茶のおかわりをしたいお客さんがいないか確認する彼女なりの習慣を作っていたのだろう。
正直、ただ今まで気が付かなかっただけなのかもしれないが、初めてみたことだった。
その後、ちょうど夕飯に良い時間だったために店内は混んできた。
そこで、少し面倒なことが起きた。
まず五人組のお客さんがきた。
二人は老夫婦であとの三人はその息子あるいは娘夫婦と赤ん坊だ。
頑固な爺さんで、席が分かれることになると店員さんが伝えると、少し大きく強めな口調で交渉し始めた。もしかしたら、それが彼らにとっては普通の口調だったのかもしれない。
しかし、そんなお客さんに対しても彼女は真摯に振る舞った。
しかし、そんな対応中にキャベツのおかわりとご飯のおかわりがその店員さんに殺到した。
それでもその店員さんは今まで通り笑顔で応対した。焦らずに目配り気配りも継続した。
確かに、忙しさは己を忘れる原因となり、つい自分優先になり、周りへの配慮を欠いてしまう。
しかし、彼女のように振る舞うことも可能だということを教わった。
彼女の行動は偽善的なものではない。
まさにお客様各人のためを想い行っていた行動だと感じた。
私も見習いたい。
備忘録
・猪苗代観光案内所
いなチャリレンタル笑顔対応。パンフレットたくさんもらった。
目を離さず笑顔で明るく対応。
・ソフトバンク表参道
懇切丁寧に修理対応。
・東急プラザ表参道5F
iPhone7の画面フィルム、向こうから丁寧に説明してもらった。
・ホテルアルファワンいわき
丁寧で優しいおじさん店員。朝から爽やか対応でスペアキー貸してくれた女性店員。
福島ひとり旅その一
久ノ浜の食堂にて
福島県の久ノ浜にあるとある食堂で昼食をいただいた。
木が印象深い切妻屋根の妻入りの一軒家だ。
カツカレーと餃子を注文した。
家庭的な味がして、外食をしているのだが、どこかアットホームな感じがして居心地が良かった。
初めて来た私はお冷は料理と一緒にくるものと思って何も言わずに待っていたが、そんな私に対して、落ち着きがなかったからか、セルフだったお水を地元のお客さんがとってわざわざ渡してくれた。
こんな親切なことがあるのかと驚いた。そんなことを思った自分にも驚いたというか気づいた。
その方には幸いしっかりと感謝の言葉を伝えられたから良かった。
そのお店の奥さんには支払い際に「本日はどちらに?」と尋ねていただいた。
せっかく来たのだから、地元の方と何かしらお話したいと意気込んでいた私は、外の御神輿祭りについての話題を用意していたが、奥さんの方が早かった。
そこでは、この地元のことを教えていただいた。駄菓子屋のことや、震災でも残った秋葉神社のこと。
久ノ浜発の帰りの電車に乗る前に教えてもらった場所へ立ち寄った。
充実した久ノ浜旅行だった。
この先の人生
正月休みに帰省した。
久しぶり(といっても約5ヶ月ぶり)に帰った我が家、家族、そして慣れ親しんだ街並みは、おそらく住処としていなかったお陰かとても強く心に響いた。
同時に早く帰りたいとも強く思った。
私の心は結局何を求めているのだろうか?
遠く離れた時間は青年期まで過ごした風景をより一層引き立てている気がする。
おそらく帰ったとして数年も住めば当たり前になってしまうかもしれない。しかしながら、故郷の進む速度はとかに比べて早くおそらく飽きるなんてことはない。
この場合、私は特別な故郷を望んでいるのだろうが、それは違う。
となるとやはり帰りたいという気持ちは、家族にある。
私は友達が少ない…いや、ほぼいないといっても過言ではない。
だから、今の赴任先では、一人で過ごす時間が長い。
別に人間が嫌いとかじゃない。
昔、人を避ける体験があり、それが癖となって現在まで続いてる。
そのせいで慢性友達自ら作らない症候群、簡略化すれば、受け身人間となってしまった。
自覚症状はあっても治そうと思っても一向に変わらない。
なかなか忍耐力に乏しく、自分を変えることができないから、なお悲しい。
まぁ、たまに孤独を感じた時は寂しさをひしひしと感じるが、普段は特に何でもなくなってきた。
でも、家族と正月休みを過ごして、親戚に会うとやはり近くに温かい人間がいるとなんだか心がウォームアップしたように温かくなるのを改めて感じた。
つまり、話を戻すと家族と近くにいたい。
休日は一緒に電車で街に繰り出し、映画を観たり、ご飯を食べたりしてたくさん思いを共有したい。
どうあったって孤独の中には生きられない、自分も人間なんだと思った…気づいてしまった。
だから、本当は帰りたい。
でも生きていくには、誇りと思ってもらうには仕事は何でもいいわけじゃない。
そこがネックなのだ。
今一番の人生の悩み。
自己分析をしつつ、どこに辿り着けばいいか検討しているが、なかなか難しい…
まっ、また明日から頑張って早めに目処をつけよう。
約束
あと5分で新しい眼鏡が出来上がる。
今はその眼鏡店の隣にあるカフェで時間を潰している。
今年は変革の年としたい。
昨日のブログでも記したようにまずは、大きな二つの目標を必ず達成する。
新しい眼鏡と共に自分自身も生まれ変わる。
眼鏡をその証として毎日かけ続けるとことをここに誓おう。(今思いついた)
正直、このブログを始めた頃は絶望しかなくて、もう残りの人生も流していこうと思ってた。
でも、伝記に触れたり、身近で頑張っている人を見ると心の炎が燃え上がったのを確かに感じた。
内なる自分がそんなんじゃだめだろ!と自分を叱ってくれているように感じ。
もう一人の内なる自分が泣きながら、こんな自分嫌だよと叫んでいるように感じた。
地元に転職。
イラストで大願成就。
絶対成し遂げる!
絶望を希望に変えてくれた、尊敬する人々の生き方に感謝。
負けるな自分!
約束だぞ!
自分の努め
久々の更新だ。
最近はブログを始めた当初に比べて毒のある気分はなく、前向きに生きる方法を模索しながら努力することに決めている。
色々と経験して、生きるってなんだと思ったら努力することだと思えてきた。
仕事が終わり、休日を迎えた時、その休日をほぼ睡眠で終わらせてしまったときは正直生きた心地がしなかった。
眠いから寝てみたけど、それは生きるに繋がらなかった。なんの幸福感も得られなかった。
人はほっとけばボーッとしてしまうらしい。
自分のいる環境でひたすら努めていくことだ。
もしかしたら、また挫けそうになるかもしれないが、大きな目標が二つできた。
地元の公務員への転職。
そして、最も応援したいシンガーソングライターへ最高のプレゼントをすることだ。
もちろん、そのプレゼントが自分の期待通りに届くかはわからないが、精一杯努力することをここに誓う。その努力が実らなくても構わない。だからこそできる限りやると決めた。それでダメならダメだと割り切れる。
やってみせる。
自分を、変える
なんというか自分の何もしてこなかった人生を時々虚しく感じることがある。
それは友人が第一志望とした企業に就職していたり、何らかの大きな賞を受賞していたりすることを契機として起きる。
そんな形に惑わされるなという声も上がるかもしれないが、それを成し遂げた経緯にはその人のそれなりの自制する能力と膨大な時間量を費やした、あるいは非常に効率的な努力が出来たことの裏付けなのではないかと自分は考えている。
それを思うたびに、さて僕は何をしてきた?何を成し遂げてきたのだろうと思う。
もちろん平均寿命を考えれば絶望するにはまだ早いのかもしれない。十分何かを成し遂げるチャンスは転がっているはずだ。そのためには自分が変わらないといけない。変わる意志を持たないといけない。その行動を起こさなければいけない。
だが、日々の労働に疲れてしまいなかなか自分の変化を確認できる機会がない。立ち止まって考える時間すら無駄に感じてしまい、とにかく前に進むことを優先してしまう。脱力感が抜けず、疲れが取れず眠気に負けた時は本当に
悔しく感じてしまう。
自分が確認した、そのすごい人達はフェイスブックで何百人という友人がいる。これは例外はない。
そこが一つ決定的な違いだ。
僕は本当に人間関係が良くない。敵が多いわけではない。しかし味方も少ない。気軽に話しかけられるのは家族だけだ。いや、自分の中ではそれでいい。家族さえいれば、家族さえ満足させることができればそれでいい。
正直なところ、自分が何かを成し遂げた後にあるものは家族の満足感に繋がっている。家族の誇りになれれば、自分の人生の目的は達成されたも同然だ。
しかし、今の所何一つない。
何もない。
ただ、夜空に輝く星に憧れを抱くだけの小さな存在だ。届くはずもない星をただ見つめるだけだ。
変わりたい。自分を、変えたい。
最愛の弟に
私は小さい頃はひどく家族に迷惑をかけた。
今ではそれが大きな後悔であり、なぜあんなことをしてしまったのかと何度も悩み、涙が溢れてくる。
もちろんそんなことを悩んでいるところで何も解決はしないことはもう分かっている。
だから、大事なことはこれからの人生をかけて家族へどう償い、恩返しをしていくべきかを模索し、最善と考えられる策を講じていかねばならない。
家族にかけた後悔の中でも一番のものは、弟に対するものだ。
弟は本当にとても明るい、本当にいい奴だ。
私は兄としてしてやれることは何もなかった。
赤裸々に話して、私は利己的な暴力を振るってしまった。本当に人生の恥だ。人間としての恥だ。
お前はクズだと誰かに言われたとしても私は何も言い返すこともできないし、そもそも言い返そうと思い至ることもないと思う。
さらにはあろうことか弟の小遣いにまで手を出した。
本当に鬼なんて高貴なものじゃなく、ただのこの世のゴミのような子供だった。
自分も家庭外では色々とあったが、そんなものは言い訳にはならない。なぜなら弟は何もしていない。弟は本当に優しい子だ。
きっと私がこんなやつじゃなければ、私が生まれないか、逆に弟として生まれれば、弟は今もとても明るく、自分を塞ぎこむような性格にはならなかったはずだ。
私が変えてしまった。私が弟の人生の始めに制約を作ってしまった。本当にそのことを考えるといつも涙が止まらない。
どうすればいいんだ。どうすれば。
実は小さい頃、弟は私に何で暴力を振るうの?と聞いたことがある。クソガキな私はバカらしい返答をした気がする。
さらに、小さい頃に弟は母親に一度死にたいと言ったことがある。それっきりだった。
しかし、私も家庭外ではほとんどひとりぼっちだった。言葉の暴力を受け続け、友達と思っていた人には無視をされ、それに自分の外見が好きではなかった。そのため笑うこともあまりせず、そもそも友達と深くまで関わることができなかった。だから、ご飯も便所で食べた。ほとんどひとりで街を歩き続けた。一人暮らしして大学生活を送っている時にはあまりの寂しさに死にたいと思った。その気持ちがわかった。
話を戻すと、弟は小学生というあんなに幼い時期にその気持ちを抱いたのだ。抱かせてしまったのだ。
弟こそ本当に社会に必要な人間だ。
弟こそどんどん成長して、社会で活躍すべきだ。
弟は現在大学最終学年で就職活動も励むことになる。
まず私にできることは弟の社会デビューを、これからの人生を全力でサポートすること。
そして残りの何十年の人生を幸せなものにしてもらいたい。
私はそのためなら何でもする。それが私が行ってきた愚かな変えられない過去のせめてもの罪滅ぼしだ。
手始めに弟に1万円分の図書カードを送った。特に自由に使ってもらって構わないが、就活など何かと書籍の購入が必要なはずだ。
現在、私は新入社員なためこの程度しかできないが、いずれ金銭的なことだけでなく、色々としてやりたいと思う。